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『仁義なき戦い 完結篇』(じんぎなきたたかい かんけつへん)は、1974年の日本映画。主演 : 菅原文太、監督 : 深作欣二、製作 : 東映。『仁義なき戦いシリーズ』の最終作。 == 解説 == 広島抗争を描いたシリーズの完結篇であるが、実際は第四部『仁義なき戦い 頂上作戦』のラストで第二次広島抗争は終焉を迎えていたため、内容は第三次広島抗争を描いている。第四部まで続けてヒットしてきたため、東映は続編の公開を決定してしまうが、脚本を担当した笠原和夫は第四部で終了した事を主張し、執筆を拒否。そのため本作の脚本は東映で笠原とともに数々のヤクザ映画を担当してきた高田宏治が執筆している。宍戸錠が演じた大友勝利は第二部『仁義なき戦い 広島死闘篇』以来の登場だが、これは『広島死闘篇』で大友を演じた千葉真一が主演映画『殺人拳シリーズ』にクランクインしていたことから実現しなかったためで、大友はもともと『頂上作戦』から再登場する予定だった〔小林信彦 『映画を夢見て』 筑摩書房、1991年、177 - 185頁。〕。千葉は『広島死闘篇』の撮影途中から主演する映画『ボディガード牙シリーズ』の準備で髪を赤く伸ばし始めていたため、同作では帽子でごまかしていたが〔、本作では大友が刑務所から出てきたばかりだというのに、赤髪だと都合悪いというのもあった〔。もう一人、早川役の室田日出男もテレビの『前略おふくろ様』で人気が出て主役級になっていたため、スケジュール的に無理で織本順吉に代わった〔。 脚本が笠原和夫から高田宏治に交代したことで、厳しい評価もある。高田は、いま思うと笠原さんや深作さんにうけようという気があった。映画を成功させたい気持ちから、なんとか小手先に走るというか、やはり緊張したなどと話している〔高田宏治、西谷拓哉『高田宏治 東映のアルチザン』カタログハウス、1996年、p102-103〕。また、「松村保のモデル(山田久)が現役バリバリの人で、美能さんでも押さえのききにくい立場だった。だからこっちも気を使って、襲撃されたとき便所に隠れたという話を取材で聞いて、映画では少し遠慮して押入れに隠れることにしたんだけど、それでも大問題になりました。そんなことはしてないと。会社もずいぶん往生したみたいです、などと述べている〔。笠原は本作について「大阪の事件をきちんと押さえていないのは弱いですな。あれは、出所した武田明(小林旭)が仕掛けて、松村保(北大路欣也)を殺そうとした天政会の内ゲバですから...」と述べているが〔『高田宏治 東映のアルチザン』、p105-106〕〔小林信彦『映画を夢みて』筑摩書房、1991年〕、高田は「その段階では書けますか。やらせた方じゃなしに、やられた松村のモデルの人がだまってないですよ、映画でそんなこと書いたら」「原爆直後の広島なら許されても、ライブとなると、実録やくざには難しいことがいっぱいあってね」「エピソードの羅列みたいな展開になったが、観客にはたいへんうけて、観客は群を抜いた。いろんな意味で、いい勉強をしたと思っています」などと話している〔『高田宏治 東映のアルチザン』、p105-106〕。 佐伯明夫役の桜木健一は当時、東映製作のドラマ『柔道一直線』(TBS)、『刑事くん』(TBS)で、茶の間の絶大な支持を得ていた。特に30分で事件を解決する『刑事くん』がオンエアされているこの時期に本作の情けないチンピラ役はありえないキャスティングだが、東映の岡田茂社長(当時)に「悲しい末路を辿るチンピラ役だけど出ないか」と誘われ、「あれほど大ヒットしている映画に出してもらえるなんて」と二つ返事で出演した〔週刊アサヒ芸能、2011年6月9日号、p57〕。ドラマの刑事役への影響なんてまったく心配しなかったという 桜木が水中銃を転んで自分の足に貫通させ敵側にリンチを受けるシーンでは、京都の大映通りを使い祭りのセットも完全に出来上がっていた。ところが売れっ子の桜木が関西テレビの仕事で撮影に間に合わず、一旦セットをバラして2日後に撮り直した。するとリンチをする役者が、本気で桜木の髪を掴むなど激しいリンチに。撮影を送らせた返り討ちを受けたという〔。 三代目を襲名した松村が大阪に出向いて踏切で襲撃されるシーンでは〔西成区を走る南海本線の設定だが、ロケ地は阪神本線杭瀬駅付近。〕、実際の撮影で電車が近付いている時、突き切ろうとした車のタイヤが溝に落ちた。その場にいた尼崎の若いヤクザらが、非常灯を振って阪神電車を止めてくれたおかげで無事撮影ができた〔立松和平 『映画主義者 深作欣二』 文春ネスコ、97頁。〕。 深作は「ショーケンや松田優作が出てたら歴史に残ったろうに、と思うなあ。考えてみたら惜しいことをした。片方にショーケン、片方に松田優作を置いていたらいうことなかったですね」など、『仁義なき戦い』で使ってみたかった役者として、この二人と沖雅也、水谷豊を挙げている〔。 3億7100万円の配給収入を記録、1974年(昭和49年)の邦画配給収入ランキングの第8位となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁義なき戦い 完結篇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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